『永遠の0』part7 (約2250字)

メディア化作品(映画) 永遠の0

作者:百田 尚樹
ツイッター:[https://twitter.com/hyakutanaoki?lang=ja]
出版:講談社

「永遠の0」の中で、日本軍にあと一押しされていたらやられていた戦いは相当あったとアメリカのハルゼーが回想していたというエピソードが紹介されていました。また、海軍の将軍たちは、もっとも叩くべきは敵の輸送船団・ドッグ・石油施設などであるにもかかわらず、弱腰になり反転を繰り返していたといいます。これには、軍部の中での出世競争や査定があり、船を失いたくなかったことや、敵の輸送船や施設をいくら叩いてもポイントにならなかったこと、そして、日露戦争後、一度も海戦をしたことがなかった日本は、太平洋戦争に突入した時点で、ただ海軍大学や海軍兵学校を出たというだけで実戦経験がゼロの将校ばかりだったことなどが、登場人物の口を通して語られました。致命的な失敗をしても、官僚(将校)たちは責任を追及されず、代わりに下士官以下が責任を取らされます。将軍や士官たちは自分たちが矢面に立つ場合は弱腰になり戦闘海域からすぐ離脱しますが、自分たちが危険にさらされることのない場合なら下士官以下をどんな無謀な作戦にも送り出して行ったとのこと。

権力って、なんだろうと思いました。

もちろん、「永遠の0」は小説であり、フィクションですが、大局への貢献や使命感の欠如した自分だけ良ければいいという、この官僚構造とでもいうものは、現代でも脈々と生きていると思いました。横領はもってのほかですが、横領にはならなくても官庁や会社の領収証で飲み食いをする場合、もちろん、職務に必要なときもありますが、自腹を切るのが嫌で会社に損失を負わせているというだけのこともあるのではないかと思います。大局としては、財政や経営状態が悪化するわけですが、それを何とも感じず、当たり前のように飲み食いする楽しみにふける人もいます。また、自分がやるはめになりそうなときは黙り込み、自分が労を背負う必要がない場合になるととたんに前に出て会議の場でだけひたすら目立ち、いざ、実践の場面になると、知らん顔をする人も多いかもしれません。何があっても自分は表には出ず、代わりに誰かの名前を出し、責任を問われることは絶対にないという人はどこの世界にもいると思います。そういった人間たちが、いわゆる「勝ち組」になってしまっている構造は、戦争中の日本も、今の日本も変わらないのだと思いました。

あと、ゼロ戦は、やはりすごかったのだなと思いました。

堀越二郎と曾根嘉年という情熱に燃える2人の若い設計者の血のにじむ努力によって零戦が生み出されたことが紹介される場面もありましたが、旋回と宙返りに優れるという格闘性能と、速度という本来相反する2つの性能を兼ね備えた魔法のような戦闘機だったとのこと。しかし、囲碁の棋士になるか一高に進むかで迷っていた中学生(旧制)でしたが、父が相場に手を出して大きな借金を残して首をくくり、中学を中退して母も病気になりまもなく死亡し、頼る親戚もなく、天涯孤独の身で海軍を志願した宮部が、世界最高と言われ、誰しもがその性能には陶酔していた零戦について、「自分は、この飛行機を作った人を恨みたい」「八時間も飛べる飛行機は素晴らしいものだと思う。しかしそこにはそれを操る搭乗員のことが考えられていない。八時間もの間、搭乗員は一時も油断出来ない。我々は民間航空の操縦士ではない。いつ敵が襲いかかってくるかわからない戦場で八時間の飛行は体力の限界を超えている。自分たちは機械じゃない。生身の人間だ。八時間を飛べる飛行機を作った人は、この飛行機に人間が乗ることを想定していたんだろうか」と語っていたことが印象に残っています。確かに、機械としては優秀でも、搭乗員は人間です。ラバウルを飛び立ち、3時間かけてガダルカナルへ向かい、敵地へ乗り込んだ圧倒的不利な状況の中で空戦を戦い、また3時間かけて戻ってくる作戦に、一週間に3度も、4度も出撃しなければならなかった飛行兵は、体力と、精神力の限界を超えていたのだなと思いました。ダイナマイトを発明したノーベルではありませんが、技術や装置を生み出すことと、人間社会の中で技術や装置が利用されることは違うようですし、「技術」や「装置」を、「権力」や「構造」に置き換えることもできるかもしれません。

「永遠の0」は、真珠湾攻撃からはじまり、ミッドウェイ海戦、サンゴ海海戦、ガダルカナル攻防戦、フィリピン、レイテ、マリアナ沖海戦、サイパン、沖縄というように、戦争の転機になった戦いが順を追って登場するので、戦争を知らない世代でも読みやすかったです。

また、官僚的構造でがんじがらめになり、官僚的構造の中で生きることだけに忠実な人間たちだけが権力を掌握していた日本軍に対し、「リメンバー・パールハーバー」で心を一つにしたアメリカ軍が、果敢に戦っていた様子も伝わってきました。ミッドウェイ海戦の時に、空母を飛び立ったアメリカ雷撃隊は、ゼロ戦の恐怖を承知のうえで、護衛戦闘機なしで飛び立ち、日本の迎撃機に全滅させられましたが、雷撃隊が零戦を低空に集めた結果として、急降下爆撃隊が上空からの日本空母部隊の爆撃に成功したことや、ドイツの工場を破壊する使命を帯びたB-17爆撃隊が、航続距離の問題で護衛機なしの丸腰の状態で、しかも正確に工場を破壊するため、昼間に爆撃を続け、毎回、40パーセント以上の未帰還機を出し続けていたことも語られていました。B-17搭乗員の戦死者数5千人は、神風の戦死者数4千人を超えているそうです。アメリカは、戦争に勝つというミッションのために、個人が命を駆けて戦い、軍も実力主義で、官僚的に優れているだけの軍人は要職には就くことがなかったようです。

ただ、それでも、アメリカ軍のガッツある攻撃は「九死に一生を得る」ことがありました。しかし、特攻は「十死零生」で文字通り「必死」。「鹿屋の基地の防空壕内の施設で女子挺身隊として働いていた」などの記述もありましたが、当時は、生き延びるには過酷な時代だったのだなと思いました。

引用元:[竹内みちまろのホームページ]
本の詳細:[永遠の0]

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA