『桐島、部活やめるってよ』part3 (約1600字)

メディア化作品(映画) 桐島、部活やめるってよ

作者:朝井リョウ
ツイッター:[https://twitter.com/asai__ryo?lang=ja]
出版:集英社


ある日突然、バレー部のキャプテンである桐島が部活をやめた。それを境に、彼と同じ部活で同じポジションだった人や副キャプテン、彼の帰りを待っていた人、その人たちに恋をする女の子、様々な人たちに少しずつ変化が訪れる様子を、私たち高校生と同じような視点でリアルに描かれているのが、この本だった。
私たちはまさによく言う、「多感な年頃」というもので、様々な出会いや別れを通して、様々なことを感じて、日々成長していくのが高校生ぐらいの歳だろう。その中には楽しいことや嬉しいことだけではなく、悲しいことや辛いこともある。しかし私たちはそれらを心の中に秘めたまま、口に出すことも表に出すこともなく、だんだんと消していき、何事もなかったように表面では人と関わっていく。そんな暗い部分がこの本の中では見事に言葉にされていた。
誰もが一度は「憧れ」の感情を抱く経験をするであろう。誰かがきらきらと輝いて見えてくる。この物語の中の彼らも、同じように誰かに憧れていた。高校生の彼らは誰かをまっすぐに見つめていた。桐島と部活で同じポジションだった風助は桐島に憧れていた。私はまっすぐに誰かに対して憧れを抱いたことがまだない。すごいなあと感心こそするけれど、その人のようになりたいと強く感じたことがない。物語の中の彼を見て、自分でも気づかないうちに誰かの背中を見つめ、追いかける。桐島のおかげで輝いているコートを見つめる。そんな経験をしてみたいと思った。
また、高校生たちの恋心も綺麗に描かれていた。彼氏、彼女、恋人、恋愛。高校生活には欠かせないものだと思う。私だって私の友達だって、誰だって人を好きになった経験があるはずだ。
この本の一番のポイントは彼らがひとりひとり、多かれ少なかれ心に闇を抱えていることだろう。そんな中で表面では心の内を見せることなくなんとなく交わっている。そこがリアルだった。まるで本当の高校生のように登場人物が生きていた。
私たちは世間では「悟り世代」と呼ばれているらしい。本当にその通りだと思う。彼らもその闇を仕方がないことだと決めつけ、あきらめ、心の奥底にしまってしまう。義母から事故で亡くなった姉と思い込まれ、自分の好きなものも洗えられず、自分の名前さえ読んでもらえない実果。彼女は学校では普通に振る舞い、彼氏の前でも何もないように振る舞い、義母の前でさえも姉として普通に振る舞う。まるでなにごともないように、私にはなんの闇もないのです、というように。何も感じないわけがないのに。一生懸命に姉になりきるけなげな実果の姿に胸を打たれた。
私が最も共感できたのは涼也の話だった。この話に共感できた人は多いのではないだろうか。彼は映画が好きなひたむきな男の子だ。しかし彼はクラスの中で下に位置付けられ、周りから馬鹿にされる。そんな経験がまったくない人もいるだろうが、経験したことのある人は本当に大きな劣等感を感じているだろう。そんな風に階層のようなものができてしまうのは高校生の特徴なのかもしれない。彼はそれをわかっていて、しょうがない、このままでいい、そう悟っていた。心の中ではぬぐえない何かがあって、本当はこのままではいやだと感じていても、それを見せずに仕方がないのだと決めつけて、強がる。自分の心の中の声さえも見て見ぬふりをする。そうして彼は平常心を保っていたのかもしれない。
私たち高校生はまだ大人の保護なしでは生きていけない。しかし大人に頼り切らなければならないほど子供でもないのだ。自分の心で感じ、自分の頭で考え、自分の思ったように行動できるだけの力はある。だからこそ、私たちは辛さや痛みを隠すのだ。人間関係がビジネスでは済まないからこそ、本気で人と向き合いたいと思う。
しかし心の中のすべてを見せ合えるほど誰かと深く関わることもできないのかもしれない。私たちは毎に、笑顔で一生懸命に走り続けている。

 

引用元:[図書館だより]
本の詳細:[
桐島、部活やめるってよ]

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