作者:太宰治
出版:青空文庫
太宰治は元々好きなのですが、何故か代表作である「人間失格」は読んだことありませんでした。暇があったのでちょっと読んでみよう、と思って読んでみると流石代表作だけあって一気に世界に引き込まれました。その後すぐに2回読み返したくらいです。
主人公の大庭葉蔵は常に周りに、そして自分に絶望し、道化を演じて過ごしましたが最後には人間の世界から外れてしまいました。しかし、面白いのは、葉蔵が常に暗い方向へ思考し、死ぬことを考えるのは余裕があるからだということです。
葉蔵は政治家の父を持ち、幼い頃は金銭的に何不自由ない生活をしていました。もし、生きるのに必死な人間なら常に周りの目を意識し絶望し死にたいなんて考えないと思います。この考えに至った時、私はひとつ学びました。余裕のある人間は余計なことを考えてしまう。つまり、逆に言えば余裕がなければ余計なことを考える暇などないということです。
例えば何か仕事をしなければいけない時に、「忙しくてできない」「時間がないからできない」という言い訳を言っていましたが、そもそも余裕がなかったらそこまで思考が至らないと思います。あれこれ考えて言い訳をしているだけなんです。
また、「人間失格」の最後はバーのマダムの「あれでお酒さえ飲まなければ、神様みたいないい子でした」(一部略)という台詞で締めくくられます。私はもうすぐ成人でお酒を飲める年齢になるわけですが、この話を読んで飲むのは絶対に程々にするべきだと思いました。
葉蔵が「人間失格」になってしまったのはお酒の力が大きいです。物語だからオーバーに書かれていると思いがちですが、心が弱ければハマってしまい中々抜け出せなくなるのがお酒とクスリだと思います。この話はある意味それに関して一つの教訓として受け止めるべきだと思いました。
太宰治の代表作である「人間失格」という物語はストーリーとして楽しむだけでなくこのような教訓、反面教師的なものを私に教えてくれました。しかも、それだけでなくあまりにも主人公が自虐的なのに自意識過剰過ぎてそのよくわからない矛盾みたいなのも面白くて笑えることも出来ました。これは何回も読み返すお気に入りの本の一つになるな、と思いました。