『人間失格』part6 (約1100字)

人間失格 太宰治

作者:太宰治
出版:
青空文庫

私は、太宰治の人間失格の中で「第一の手記」で気になる文章がありました。それは、『人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べねばならぬ。』の部分です。私はこれを読んでなるほどと思いました。人間失格の中で「めしを食べる」ことと「働く」ことは連鎖していると思い、また「働く」は「生きる」ことと同じことなんだ、ということも感じられました。人間失格には、その二つが組み込まれていると思いました。
主人公の大庭葉蔵は、「第三の手記」でシヅ子と同棲し、マンガを書いてお金をもらうようになります。でも、好きな人と暮らし、なりたかった絵を描く職業になれたのに、葉蔵はそれまでとあまり変わらない、すっきりとしない態度で生活していました。シヅ子と結婚をして、連れ子のシゲ子をかわいがる「人間らしい」生活を送っているはずなのに、「人間の生活というものが、見当つかないのです。」と告白していた幼い頃とほとんど心境の変わるところが見られない。

私はこの文が理解できなかったが自分なりに解釈した結果、これは、マンガを描くことで稼いだお金を、お酒やタバコにしか使わなかったからだろうと思いました。つまり「働くためにめしを食べる」ことをしなかった。だから葉蔵は、生活が変わっても浮かない顔から抜け出せなかったと思います。もし仮に彼が稼いだお金で、なにかしらの食べ物を買っていたら、結婚生活も少しは変わっているのではないかと思いました。
結局、葉蔵はシヅ子と別れ、マダムのところで寝泊りするようになります。そして「信頼の天才」ヨシ子と出会い、結婚しました。
私が、人間失格を読んだところ、ヨシ子が結婚後に働いていないことがわかりました。葉蔵と実家の縁が切れていたため、葉蔵の稼ぎでやりくりしていたこともわかりました。
彼がヨシ子との生活に「人間らしいもの」を感じることができたのは、「人間は食べるために働く」という『人間失格』における要素をかねそなえてるなと思いました。
私は、改めて、この人間失格という作品はすばらしいと思いました。もともと、遺書だったという話もありますが、それ以前に、人間の年を重ねるごとに考えが変わっていく、もっとも現実的な話ではないかと思いました。
私は、これからの学校生活で、今まで以上に、いろんな人とシェアして、人間失格で学んだことを最大限に生かそうと思います。
そして葉蔵は最後に、自らを人間失格といっていました。けれどそれは、自らの誤ちを自分で理解してのことなので、人間失格ではないと少なくとも私は思います。
こんな小説を書いた太宰治は、本当に、人間というものをわかっていて、すばらしいと私は思いました。

引用元:[弘前市小・中学生読書感想文コンクール ]
本の詳細:[人間失格]

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