『君の名は』part1 (約1450字)

メディア化作品(映画) 君の名は(角川文庫)

作者:新海 誠
出版:角川文庫

 先日、公開されたばかりの新海誠作品「君の名は。」を見に行き、内容が面白かったので小説版を読んでみることにした。田舎町に暮らす三葉、東京で暮らす瀧がお互い夢の中で入れ替わり様々な日常を繰り広げていく物語で、今回はその中の見どころとも言える入れ替わりや恋から考える「人を強くする出逢い」を書こうと思う。
前半のほうで、不定期でお互いの体が入れ替わりながらもなんとか日々を過ごしているうちに、バイト先の奥寺先輩に想いを寄せる瀧を察したのか、瀧(みつは)は彼女に猛アタックを始める。瀧がもがき苦しみ続けた先輩との距離感は確実に縮まっていったのだ。この手のファンタジー系の物語を見ると、自分はよく思ってしまうことがある。「イケメンなあいつと、勉強ができるあいつの能力と、入れ替わってくれたらなあ」と苦笑せざるを得ないことではあるが・・・。三葉のおかげでデートまで発展し、当日は運良く入れ替わらず瀧がいくことになった。結果から言うと、ダメダメだった。やはり瀧(たき)では 瀧(みつは)のようにいかず、会話が詰まってしまう。ここで、自分は考えてしまった。自分には才能がない、優秀な人に入れ替わりたいと悩んでも、「身」は同じものの思考や行動が全く違う、つまりそれは自分自「心」でなくなるのではないだろうか。デート中、奥寺先輩が「今日は別人みたいね」と言いその後別れたのは、もしかすると瀧の変化に気づいていたのかもしれない。入れ替わっても仕方がなくそれは自分ではない、だからこそ他人の力でなく自分の力で手を伸ばし続けるのが大事で、自分や誰かの代わりなど存在しない、自分自「心」を磨き続けるのが大切だと痛感した。
後半、二人はそれっきり入れ替わることなく途絶えてしまう。瀧は三葉に会いたいという気持ちから探す旅に出かけ、お互いこの時間軸の人間ではないということが判明して・・・ここから先は、ぜひ本編を見て欲しいとお勧めする。時空を超えた出会いの中で、二人は記憶を忘れそうになりながらもお互いを探し続け、再び出会うことができたのだが、それはなぜだろうか?クライマックスで瀧は「人の記憶ってのはどうしてこうも忘れっぽいんだ」と自問し心に残ったあたたかさだけを頼りに走っている場面がある。実際、自分も大切な人のために全力で走り続けたことがあった。今ではもう遠い昔のように思え、自分でもなぜあんなに必死になっていたのかとなるくらいに忘れてしまったが、「楽しかったな、良い経験をしたな」とあたたかさだけは今でも残りあの頃を取り戻したいと思うことがある。瀧が頼りにしたあたたかさが「恋」でありそれが三葉も同じだったから二人は出会えたように思う。最後の方で瀧が「記憶の中でもあたためてくれるような大切なものを探している」というように、忘れることのないあたたかさこそが恋だと―――「人の記憶は忘れっぽい」というのは逆説的だと「記憶の中でも忘れない程恋は大切」だといえるだろう。あたたかさを頼りに、前に進むことを恐れる必要はないと肝に命じたい。出逢い、とは人間関係におきることだとよく聞くが、恋愛だけに限った話ではない。自分の住む家、学校の帰り道、よく遊んだおもちゃ・・・様々な人、物や町に恋をして出逢いが生まれ経験を積んでいく。人が様々な出逢いをアルバムで残すのは、それが大切だからといった表われであろう。自分を磨き続けて、沢山の経験を積むことができる「出逢い」は人を強くしてくれると自分は考える。

引用元:[読書感想文入賞作品]
本の詳細:[君の名は]

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