『奮闘するたすく』part1 (約1157字)

奮闘するたすく (講談社) 第64回:青少年読書感想文全国コンクール課題図書

作者:まはら三桃
出版社:講談社

六月二十六日は祖父の八十四才の誕 生日。私達は祖父の大好きな握りずしや春雨の酢のものなどを持って行った。もちろん、大好きなお酒もだ。祖父は今年の一月三日からずっと施 設で暮らしている。祖父は認知症だ。この物語の主人公たすくの祖父も認知症だ。私は題名の「奮闘する」という言葉にとても興味をもった。なぜなら、私も祖父が認知症になってからずっと「奮闘していた」からだ。
祖父のことを変だなと思い始めた のは二年前だ。最初は物忘れが少し ひどくなったくらいだった。例えば 財布がないと大さわぎになり、だれかが盗んだと言ってきかない。どろぼうは杯っていないと言うと、犯人は家族の中にいると叫び始める。父や兄はなるべく関わらないようにし、母はだんだん感情的になる。私は、とにかくなだめながら必死でさがした。
「ほら、おじいちゃん、あったよ。みんなとったりしないよ。」
「ごめん、ごめん。さあちゃん、ありがとう。」
祖父は何事もなかったように財布を手に笑っている。そんな出来事が毎日のように起こっていた。家族みんなくたくたになり、心が折れていく感じがした。大好きな祖父が代わっていくのがつらかった。私が生れた年に祖母が亡くなり、祖父はいっしょに暮らすようになった。それからずっと仲がよかった私は「おじいちゃん対応係」として、いつも奮闘していたのだ。
祖父がデイサービスを利用するようになった夏休み、自由研究でその施設の様子を詳しくまとめることになったたすくだが、担任の先生にすすめられてのことだったので、初めはとまどっていたと思う。しかし、そこで手伝いをする中で、たすくはいろいろなことを知った。お年寄りはどんなことで困るのか、どんな時に腹を立てるのか。そこにいるお年寄りのお世話を手伝っているうちに、たすくはお年寄りの手がしわしわでかさかさなだけでなく、やわやわでふわふわだと感じる。きっとお年寄りと接する中でたすくは、長く生きてきた人たちと歴史や優しさにふれたのだろう。たとえ記憶があやふやになっても、足の先にしかやる気が出せなくなっても、それもできなくなって横たわるしかなきなっても、生きていることがすばらしいと知ったのだ。もう死んでいる祖母も、祖父の中で生きていることで、たすくも祖母を近くに思い出すことができる。それはとてもすてきなことだ。
認知症になった祖父を受けとめ、 いつまでも大きな笑い声が続くようにと奮闘するたすくの姿は、祖父が一月から施設に入り、どこかほっとしていた私の心をゆらした。家族みんなが笑顔でいるために、そして祖父のことをいつも大切に思っていら れるように、私にできることがあるかもしれない。たすくのように祖父を通して幸せを感じることができたらいいな。今、奮闘したい私がここ にいる。ーおじいちゃん、これからも よろしくね!ー

引用元:[奮闘したいわたし]

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