『火花』part1 (約1250字)

又吉直樹 火花 (文藝春秋)

作者:又吉直樹‏
ツイッター:[https://twitter.com/matayoshi0?lang=ja]
出版:文藝春秋


『火花』は、久しぶりに、言葉の力を感じることができた作品でした。一番、読み応えがあったのは、ラストライブの様子を描いた場面でした。『スパークス』が行ったのは、あえて反対のことを言うと宣言した上で思っていることと逆のことを全力で言うという漫才でした。「お前は、ほんまに漫才が上手いな!」などと笑いを取るためのセリフが、「」でくくられたセリフとして描写されていきます。
文字で書かれたお笑いのネタ(台本)は見たことがありませんので、勝手な想像になりますが、それだけを読んでも面白いものではないのだと思います。以前読んだ小説に、漫才の場面が『火花』と同じように言葉で描写されていました。が、それを読んでもぜんぜん、面白いと感じることができず、退屈なだけでした。芸人によってステージで実演されている場面を想像してみても面白いと感じることができませんでした。それは、頭で必死に考えてしまっていたからかもしれません。お笑いのネタは、やはり、芸人さんによって演じられて、はじめて心に届くものだと思いました。しかし、『火花』では、文字だけで、お笑いのネタの迫力が伝わってきました。
『火花』のラスト漫才の場面は、反対の言葉を使うというネタをそのまま描写していますので、僕も、山下も、「だけどな、相方! そんな天才のお前にも幾つか大きな欠点があるぞ!」と断った上で、「そんな、お前とやから、この十年間、ほんまに楽しくなかったわ! 世界で俺が一番不幸やわ!」と口にします。ファンにも、「お前等は、スパークスは最低だ! 見たくもねえ! とか言って、僕の人生を否定するわけですよ。ほんまに大嫌い!」などと思いをぶつけていきます。それを聞いてファンは、笑いながら泣きます。表面上の言葉とは反対の意味を頭で変換しながら読み進め、同時に、同じように頭で変換しながら思いを受け取って行くファンの様子を読み進めるうちに、不思議な高揚感と興奮に包まれました。言葉って、こんなにも、登場人物たちの心の中に存在する“想い”というものを伝えられるのだなと感動しました。
もう一つ、ラストライブのネタの場面では、進行するネタと同時に、「僕」の心も、ストレートな言葉を使って、地の文で、「僕は、天才になりたかった。人を笑わせたかった」などと描かれています。神谷に感情をぶつける場面でも、「僕は面白い芸人になりたかった」と書かれています。不器用な「僕」は、現実世界では思うように感情を伝えられないのですが、強く、純粋で、真っ直ぐな想いを持っているのだと思いました。
現実世界での不器用さと、内面の純粋さが同時に描かれていく場面を読んでいるうちに、そんな場面を描くことができる作者の又吉さんの心の中にもきっと、「僕」と同じように、例え上手く表現できなかったとしても、伝えたい純粋な想いがあるのだと思いました。想いを伝えることは難しく、伝わらないもどかしさは果てしがないと思いますが、言葉によって、そんな想いの純粋さを描いた『火花』は、久しぶりに出会った、すげえ!と感動させてくれる作品でした。

引用元:[竹内みちまろのホームページ]
本の詳細:[
火花]

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