作者:又吉直樹
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出版:文藝春秋
物語の始めに主人公である徳永とその先輩芸人の神谷の会話のやりとりの中で神谷がこんな事を語る。「一つだけの基準を持って何かを図ろうとすると眼がくらんでまうねん。・・・批評をやり始めたら漫才師としての能力は絶対におちる。」と、この会話では物事に対して新しい方法論が出現した時にはそれと同時に同じ事を実践する人間が複数現れて、さらには発展改良する者も現れ始める。するとそれを流行と断定する者が現れ新しい方法論が邪道とみなされたりするのだ。
そして新しい方法を否定するのは往々にしてどの世界でも大人達である、だからこそ古い人間が多数いる業界は衰退する。という事も語られている。今現在、私が立たされている状況に非常に似ていて、自分の事のように読みふけってしまった。
思い返すと会社での私の位置づけは年齢、経験年数を考えても中堅どころと言われる立場になってきたことで新規事業やイベントを提案企画することも増えてきており、その提案が数年前と比較して幾分通りやすくなってきている。しかし良い事ばかりではなく不満も多い。というのも、これは斬新で絶対に競合他社との差別化が出来、業績が上がると意気揚々と自信を持って上司に相談すると意外な答えが返ってくることもしばしばどころか多々あるからだ。こういった類の話はよくある会社での日常の風景だが先ほどの神谷のセリフがいつも心に戻ってくる。
「批評をやり始めたら能力は落ちる」この言葉を上司に投げつけてみたい。つまり「やってみなければ成果はわからない」まだこの提案は花でいうところの「蕾」であって今後の成長も見ずにして摘んでしまうのか?ということだ。
こんな事を思いながら日々を過ごしているのだが、ある日、心臓を撃ち抜かれるような体験をしたのだ。それはやはり新しいプロジェクトに関する会議を後輩としていた時だった。「先輩、こんなことをやってみても面白いかもしれませんね?」という後輩の提案に対し、「確かに面白いけどもうすこし会社のイメージに合った案はないかな?」という風に否定してしまったのだ。えてして人間とは歳を重ねるごとに慎重になりリスクを嫌い安全策に走ってしまうきらいがあるのではと言い訳が頭をよぎった自分に対し、神谷の言う「古い大人」のカテゴリーに私自身が足を踏み入れていることに気付かされ、ただただ恥じるのだった。