『カラフル』part6 (約1850字)

カラフル(文春文庫) メディア化作品(映画)

作者:森 絵都
出版:文春文庫

仮にこの世がモノトーンで占められている世界だとしたら、どんなに味気ないだろう。私たちは今、いろんな意味で色の渦の中に生きている。
『カラフル』に出会ったのは中学二年生の時。きらきらとした言葉たちがさわやかな風のように吹き抜けていき、心が軽くなったことを覚えている。慎重で臆病な私は、石橋をたたいて渡るタイプ、いや、たたくだけたたいて結局渡らず、というようなところがある。朗らかであっけらかんとした性格の人がうらやましいと思い、こんな自分にコンプレックスがあるものの、そうそう性格は変えられるものではなく、ややモノトーンの中でゆれている。そんな私に「人生は少し長めのホームステイ」という考え方は、目の前でしゃぼん玉がパチンとはじけたように「あ、それでいいんだ」と感じさせてくれたのだ。天使のプラプラが言う。「しばらくのあいだ下界ですごして、そしてふたたびここにもどってくる。せいぜい数十年の人生です。少し長めのホームステイがまたはじまるのだと気楽に考えればいい」と。なるほど、そんなふうに考えられたらどんなに楽だろう。思えばここ数年は自分自身の様々なコンプレックスとの闘いの日々だった。真っ赤な太陽みたいになりたいとあこがれた日もある。今もあこがれが消えたわけではないけれど、むしろ空に浮かぶレモン色の月がより素敵だと思えるようになってきた。満ちたり欠けたりしながら静かにたたずんでいる存在は、太陽と違ってゆっくり見上げることができる。そして私に豊かな時間を与えてくれる。レモン色の月を見上げながら、モノトーンの中に少し色が加わったことを感じる。
私は絵を描くことが好きで、『カラフル』の中に度々登場する美術部の教室の光景にあこがれたことがある。実際は気が向いた時に手近にある紙などに気楽に絵を描くことで満足している。いつの頃からだろう。祖母の家に遊びに行った時、その度に一枚ずつ静物画を仕上げてくるようになったのは。スケッチブックをめくり、その時々の部屋にある何かに対象をしぼり向き合う。季節の花だったり果物だったり、いずれの場合も心地よい疲れとともに私に幸せな時間を与えてくれる。祖父母がほめ上手なおかげもあるのだが、毎回評価してくれるのがうれしくて描き続けている。ただ、鉛筆で描く段階では調子がいいのだが、色をつけるのはためらってしまう。失敗がこわいのだ。小学生の時、我ながら納得のいく下書きの絵を、絵の具を重ねることで台無しにしてしまった経験があるからだと思う。もちろん鉛筆だけのモノトーンの世界にもそれなりの魅力はあって好きなのだが、色を重ねることで違う世界があらわれるはずなのに、冒険は避けてきてしまった。
この夏、久しぶりにいとこたちと一緒に祖父母の家に集まった。商店街の夜店のくじ引きでいとこが当てたのはパイナップル。ふと思いついて急きょパイナップルを描くことにした。少し日は過ぎていたが祖母の誕生日プレゼントにと思ったのだ。いつものように鉛筆でスケッチブックに描いていく。祖母のリクエストにこたえて色をのせてみた。緑や黄色を重ねた新しい世界。今その絵は、祖母の計らいでシルバーの額に入ってリビングを飾っている。色を重ねることで、やっぱり違う世界ができるのだ。
そう、日々の生活もきっと同じなのだ。色を重ねると何かが宿り、幾度も重ねていくと変化は変化を呼ぶ。失敗と思える変化もあるけれど、思いがけない感動に出会うチャンスを運んでくれることもある。そうして私は自分自身にも色があることに気付いた。「黒だと思っていたものが白だった、なんて単純なことではなく、たった一色だと思っていたものがよく見るとじつにいろんな色を秘めていた」と気付いた主人公のように。見る角度を変えただけで違った色があらわれてくるなんて、人間はなんと興味深い存在なのだろう。『カラフル』との出会いによって、色とりどりの毎日がいとしく思えるようになった。自分の色、そして出会った人たちの色、それらがそろうと思いがけなく豊かなことがきっとおこる。そんなふうにイメージできる私は、モノトーンにほんのりレモン色プラスアルファといったところだろうか。
現在高校一年生の私は音楽部に所属し、合唱コンクールに向けて練習中である。校舎の三階にある部屋へと続く階段をいつものようにマイペースでのぼっていく私。響いてくる様々な音。なじみのある空気。ドアを開ける。個性的な面々が集う。重なるハーモニー。ああ、ここにもあったんだ、カラフルな世界が。

引用元:[第29回全国高校生読書体験記コンクール]
本の詳細:[カラフル]

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