『学問のすすめ』part3 (約1800字)

学問のすすめ 福沢諭吉

作者:福沢諭吉
出版:
青空文庫

 学問をすることで自分の意識がはっきりし、経済がうまく回り、幸せな生き方が出来ると福澤は言っています。当時の日本は、どのようにすれば国や個人が独立し、植民地化を防いで近代化できるのか、皆が考えなければならない状況にありました。そう考えますと、当時の学問がいかに切迫した重要事だったかわかります。福澤は、すべての人が学ばなければならない、いわば「国民皆学」の思想を鼓舞したわけです。
 今の時代にもっとも必要なのは、大きな目標を目指して動くことで、自分自身も充実するという連環ではないでしょうか。
世の中を良くしていくことと、自分自身の充実ということ。「国」や「公」と、「個」や「私」が、常に矛盾なくつながっている。そこが福澤スタイルなのです。
 
この本が書かれた明治初期は、男性が社会的に有利な社会で、女性は家庭生活においても今では考えられないほど低い位置にありました。
これに対して福澤は「親はともかく、結婚してからも夫の言うことを聞いて、最後は子にしたがえというのはあまりに不公平ではないか」と徹底的な批判をしています。おそらく女性はこれを読んだときに、非常に勇気づけられたでしょう。
 
そのような読み方をしてみると、今の時代にも通用する普遍的な論理が満載です。例えば、「国民は個人に契約もしくは委託されているようなものなのだから、きちんと一人ひとりの国民のために安全保障をして守るべきである」と正論を述べる一方で、「国民は気持ちよく税金を払え。少しのお金で安全を買えるなんてこれほど安い買い物はない」というようなざっくりとした言い方をしています。
 
今は自分たちが社会に参加しているという意識を持ちにくい時代です。その結果、自分の私的で快適な空間をどれだけ守れるかということに必死になり、国によって社会が安定している恩恵を大いに受けているにもかかわらず、国などいらない、税金など払う必要がないと考えてしまいがちです。自己意識はどんどん肥大しているのに、社会の中で自分の占める割合が極度に小さい。このギャップは、個人をむしばんでいます。
そのような社会では、「気概」を持つことは非常に難しい。福澤は、「衣食住を得るだけでは蟻と同じ」とバッサリ斬っています。また、「独立の気概のない者は、必ず人に頼るようになり、その人を恐れ、へつらうようになる」とも言っています。
ここで言う「気概」とは、単に根性を指すのではなく、きちんとやるべきことが見えていて、そこに全精力をかけていきたいという明確な思いのことです。
 
今はインターネット時代になって、交流の範囲がどんどん大きく広がっています。リアルの世界で気が合う人間がいなかったとしても、ネットの世界では自分と志を同じくする人をみつけられる可能性があります。
これを福澤流に言えば、「交際」ということで、「関心をさまざまに持ち、偏らずにいろいろな人たちからいい刺激を受けながら、多方面で人と接しよう」と説いています。交際は広げていくべきだという考えの究極の形がまさに現実となっているわけです。
 しかし、逆の暗い面を見れば、ネットで知り合った顔見知りでない者同士が集団自殺したり、一緒に強盗殺人を犯してしまうことだって起こり得る。
 しかも今の日本の場合は、日常生活において柱となる道徳がはっきりとありません。
生き方の型を失った現代では、心を安定させて生きていくことが一層大切になってきています。そのためには、社会と自分との関係をしっかりつかまえて、客観的に物事を判断できる能力は皆つけたほうがいい。そのざっくりとした態度というのも、やはり福澤の遺産と言うべきものです。
 
本書の最後は「人間のくせに人間を毛嫌いするのはよろしくない」という言葉でしめくくられています。そこでは、他人と積極的に交際し、知見を広めて、この社会全体を良くしていこうではないかという明るい展望が語られています。個人、人間関係、コミュニケーションの問題と、社会の作り方、国の支え方みたいなものがひとつながりになった一つのモデルをこの本は提示してくれます。
 こうした民主主義の基本や、身分制に対する批判、人間は相互に皆同等の権理を持つという基本原理などは、戦後の憲法に慣れている私たちには馴染みやすいものではあります。しかし、現代の私たちはそのような原理が骨身に染みてきちんと身に付いているのかどうか、見直すきっかけにもなるでしょう。

引用元:[so-on]
本の詳細:[学問のすすめ
]

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