『走れメロス』part1 (約1800字)

太宰治 走れメロス

作者:太宰治
出版:青空文庫

沈みゆく夕日に遅れまいと、友を救うために必死に走るメロス。『走れメロス』は友情
の尊さを今も変らず私たちに語りかけているが、この物語にはもうひとつの大きなテーマ
がこめられている。それは、肉体と精神のつながりである。
序盤に登場する王の顔は蒼白であり、健康であるとは言いがたい。その王の口から出る
のは人に対する深い不信感であり、その様子はまるで、自らの身体を忘れてコンピュータ
の前に座り続け、不信感をシニカルに語り続けるネット中毒者のようだ。一方メロスは、
その王に激怒して彼を殺そうと王城に単身で入っていく。くったくの無い健康そのものの
若者だが、まるで肉体のみに全てをゆだね、深く考えるということを放棄したようだ。王
は頭に、メロスは肉体に傾き過ぎていて、バランスを欠いていると言わざるをえない。妹
の結婚式の最中に語りかけた言葉は、自分が死刑になった後の妹のショックをやわらげる
ためのものであろう。メロスらしい思いやりなのだが、この言葉にしても、どうも深い思
慮を欠いているように思えてしまう。
だが、王城に向かう途中の試練でメロスは大きく変化する。濁流を渡り、山賊と闘った
ことで疲労困憊し、メロスは動けなくなってしまう。悲嘆し、自分への言いわけをくり返
すが、やがてやぶれかぶれに陥って、どうにもなれと寝てしまう。これがあの誇りに満ち
た明るい青年と同じ人物かと目を疑いたくなるほどだ。
少し異なるが、似たような経験が私にもある。朝起きてどうも体調が良くないとき、母
の細かい言葉にイライラし、ついには「何回も言わなくても分かってる!」と、ひどく乱
暴に大声をあげてしまった。私の体調を気づかってくれている母にそんな言い方をするな
どもってのほかだが、その時はまるで具合の悪い身体に精神が支配されてしまったかのよ
うだった。きっと、メロスもこのようであったのだろう。疑いもなくよりどころにしてい
た肉体に、メロス自身が裏切られてしまったのだ。
休息をとって体力の回復したメロスは、再び走り始める。その心のつぶやきは、試練が
襲いかかってくる前の、どこか軽薄なそれとは明らかに異なっている。肉体に心が振り回
される経験をへることで、より深く考えるようになったのではないだろうか。
そして、メロスは沈んでいく夕日を追いかけるうに、ひたすらに走る。おそらく、肉体
の疲労も極限に達していることだろう。しかし、メロスはもはや自暴自棄になりはせず、
「なんだか、もっと恐ろしく大きなもののために走」リ続ける。やけになった先ほどとの
違いはどこからくるのだろうか。これは『走れメロス』を読んで最も大きく残った疑問な
のだが、おそらく、疲労から王の考えとほとんど同じになりながらそこから立ち直ったと
いう経験が、メロスを成長させたのだろう。加えて、濁流や山賊といった外部からもたら
された原因で立ち上がれなくなったのに対しひた走るのはメロス自身が選んだ行為である
という違いが、その時の考えの違いとなって現れたように思われる。肉体疲労が自分の
意志と無関係に降りかかったものである場合しばしば人はマイナス思考の悪循環になり
やすいが、それが自分自身の選択によるものであるのなら、むしろ逆の結果をもたらすこ
とも十分ありうるだろう。
私自身は、何かを「口から血が噴き出るほどにとことんやりこんだことが無い。万事
中途半端であり、だから想像で書くしか無いのだが、刑場にむかうメロスの心情は、あた
かも激しい修行の末に悟りを見出す修行者のようだ。この時、「ほとんど全裸体」であっ
たのは、妹に語ったときのような飾りをメロスが捨てて、ただひとつの信実となったこと
を表しているのではないだろうか。
メロスは、一度は王と同様の考えに至りながら、それを超えることができた。その過程
は精神的な葛藤だけでなく、肉体と響きあいながらのものであった。頭だけで考えている
と、人とのつながりを身体で感じることも無く、不信感に安易にとらわれやすくなる。逆
に健全なる肉体を求めるだけでは、しばしば浅い考えで終わってしまいやすい。
肉体と精神はつながり、響き合っている。その関係は複雑で、ひとことでまとめられる
ような簡単なものではない。だからこそ、自らの身体を健やかにさせつつ、考え続けよ。
人を信頼することの尊さとともに、『走れメロス』は私たちにこう語り続けているのでは
ないだろうか。

引用元:[まなびの函]
本の詳細:[走れメロス
]

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