作者:百田 尚樹
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出版:講談社
私がこの本を読んだのは、姉に感動したからぜひ読んでみてはと薦められたからだ。読み進めていくと興味深く、沢山のことを考えさせられた。
この物語は、主人公とその姉が特攻隊で亡くなった祖父の生涯について知るために、祖父のかつての戦友たちを訪ね、調べていく話である。
初めに訪ねた人によると祖父は臆病者ということであった。しかし、調査を続けるうちに実は祖父は腕の立つパイロットだが、軍人らしくない人だったということが分かった。階級制度が厳しい軍隊の中で部下に対しての言葉づかいが丁寧で優しかった。さらに、「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために。」と言い続けた。天皇のために死ぬことが正義とされていた時代に周りの目を気にせず自分の意見を曲げない祖父は本当はとても強かったのではないだろうか。
また、調査を進めていくうちに、この戦争がどれだけ無謀だったのかも分かった。ガダルカナル島での陸軍の戦いは、場当たり的な作戦だったため、兵士達が将棋の駒のように使われた。軍の中枢は敵情偵察もろくにせず、実際は一万三千人いた米軍の兵力を二千人とみて、わずか九百人あまりの部隊を送り込んだのだ。また、日本陸軍は銃剣突撃が基本の戦法だったのに対し、米軍は重砲や重機関銃と軽機関銃を用いた戦法だった。こんなの勝てるはずがない。陸軍の中枢は何を考えていたのだろう。
桜花も無謀な作戦だった。桜花とは人間が操縦するロケット爆弾のことだ。自力で飛び出すこともできず、着陸することも出来ない。旋廻も出来ず、ただ真っ直ぐに滑空する。一式陸攻に懸吊され、上空から敵に向かって飛んで行くだけの人間ロケットだ。このように軍部は兵隊の命を何とも思っていなかったのだ。特攻隊はまさにその典型である。うまくいけば一人の人間と一機の戦闘機で軍艦を一隻沈めることができるかもしれない。その一発命中のために数十人の命が無駄になることは仕方がないと考えられていた。なんて酷いのだろう。
さて、タイトルの0は零戦のことである。戦争が始まったころ世界で零戦と互角に戦える戦闘機はまだなかった。格闘性能がずば抜けている上にスピードが速い。さらに航続距離も桁外れだった。当時の単座戦闘機の航続距離は大体数百kmだったのに対して零戦は三千kmを楽々と飛んだ。零戦を作ったのは堀越二郎と曾根嘉年である。彼らは戦争のために飛行機を作りたかったわけではない。
しかし、戦争で使われ、多くの命を奪う結果となった。どんなに素晴らしい技術でも使い方によっては殺人兵器となってしまう。
例えば原子力発電所もそうではないか。私も技術者になりたいと思っている。技術を追求するのは大切だが、その技術が本当に人の幸せに貢献できるかまで考えなければならないと深く感じた。この本を読むまで、私は特攻隊も含め、戦争がこんなに悲惨だと知らなかった。言いたいことも言えず、将棋の駒のように命が奪われていく戦争は恐ろしいと思う。そんな時代の中で生きたいと主張し続けた主人公の祖父は本当に信念が強い。
今、中国や韓国から日本は歴史認識が間違っていると指摘され、国交がうまくいっていない。私達は今こそ過去の戦争と真剣に向き合い、学び続け、自分の意思を固める努力をしなければならない。