『桐島、部活やめるってよ』part2 (約1750字)

メディア化作品(映画) 桐島、部活やめるってよ

作者:朝井リョウ
ツイッター:[https://twitter.com/asai__ryo?lang=ja]
出版:
集英社

 

「高校という狭い社会でもがく17歳のリアル」と、丁寧な文字で書かれた図書館のポップを見て私はこの本を選んだ。私が17歳の頃を振り返ってみると、部活、友達、恋愛などいわゆる青春と呼ばれるような経験もしてきた。しかし、高校生というのはそんな綺麗なものだけではない。良くも悪くも目立つ上位グループとどちらかといえば地味で静かな下位グループとに勝手に格付けされたり、一人になるのが怖くて嫌なことも言えずに友達にあわせたり、クラスメイトと比較して劣等感を感じたり、誰もがみんな多かれ少なかれ心に闇を抱えている。この本にはそんな17歳の感情がリアルに描かれていた。この本のタイトルにもなっている桐島は、最後まで登場することはなかった。 登場人物の間で語られる桐島は、バレーボール部のキャプテンであり、クラスでも人気があるいわゆる「上位グループの中心」の人。そんな彼が部活をやめるということで、毎日彼の部活が終わるのを待っていた友人、その友人に好意を抱く女子生徒、部活仲間などさまざまな人に徐々に変化があらわれてくる。たった1人が部活をやめることでそんなに周りに影響があるものなのだろうか、と私は本を読み始めたときに感じた。しかし、本に登場する人々はみんな桐島という1人の人物を中心に置き自分を確立しているのだと読み進めていくうちに分かった。私がこの本の中で一番共感できたのは、桐島の友人でいつもバスケットボールをしながら彼の部活が終わるのを待っていた菊池宏樹の話である。彼は野球部のエース的存在であったが、部活をサボるようになり、いつしか幽霊部員になってしまっていた。何かを本気でやって何もできない自分を知ることが一番怖かったからだ。そして何が本当にやりたいことなのか宏樹は分からなくなっていた。「俺たちはまだ17歳で、これからなんでもやりたいことができる、希望 も夢もなんでも持っている、なんて言われるけど本当は違う。これからなんでも手に入れられる可能性のあるてのひらがあるってだけで、今は空っぽなんだ」という言葉が宏樹の話の中にあった。17歳のときの私もそうだった。子どものときから将来の夢はたくさんあって、しかし、大学受験を控えたときはじめてその夢を1つにしぼらなければならないと思った。選んだ道は看護師だったが、本当にそれでいいのかもっとやりたいことがあるんじゃないかと宏樹と同じように悩んだことを覚えている。17歳の宏樹と私は似ていると感じた。しかし宏樹と私には違いがあった。この本の最後には、宏樹は今まで逃げ続けてきた野球部に戻る決断をする。宏樹は、桐島が部活をやめたことではじめはショックをうけたものの、周りが動揺している中で自分を見つめ直していた。クラスの中で下位グループと位置づけられている人が「ダサい」と周りに言われているのを見ても本当にかっこわるいのは立ち向かうことも逃げることもできない自分なのではないかと考えていた。変わりたい、今のかっこわるい自分から抜けだしたい。そう思って宏樹は最終的に野球部に戻っていくのである。一方、私の方は21歳になった今でも17歳の頃と同じように悩んでいる。看護師になるために勉強している今でも、「自分は看護師にむいていないのではないか」と不安におそわれ、逃げ出したくなることが多々ある。私はまだ本当に看護師になりたいのか、看護師になれたとしてやりがいを見つけて仕事ができるのか、と手探り状態のままである。そこが私と宏樹の違いである。私は、まだ看護師になるための勉強に必死になれていないのではないかとこの本を読んだ今、自分の生活を振り返ってみて感じた。もちろん試験期間になると受かりたいと思って机に向かうが、それ以外で国家試験にむけて勉強しようとか実習にむけての準備をしようとか、やるべきことは明確であるのに行動にうつせないでいる。でも、このままでは将来胸を張って「看護師です!」とは言えない。まずは、目の前の実習を乗り切るために、今できる努力を今するべきである。看護師という仕事をもっと積極的に追い求められるようになるために自分を変える努力をするべきである。宏樹のように何か目標に向かって行動できる人はかっこいい人だと見ていて感じる。私も看護師になるという目標に向かってもっと必死になりたい。

※赤字部分には注意してください!

引用元:[読書感想文コンクール結果発表]
本の詳細:[
桐島、部活やめるってよ]

 

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