『蜘蛛の糸』part1 (約1250字)

芥川龍之介 蜘蛛の糸

作者:芥川龍之介
出版:青空文庫

「蜘蛛の糸の下の方には、数限りもない罪人たちが、
自分ののぼったあとをつけて、まるで蟻の行列のように、
やはり上へ上へ一心によじのぼって来るではございませんか。
かん陀多はこれを見ると、驚いたのと恐ろしいのとで、
しばらくはただ、莫迦のように大きな口を開いたまま、
眼ばかり動かしておりました。」
細い細い蜘蛛の糸にぶらさがる男と、その後をついてくる
地獄の罪人たち、頭に浮かんだ絵に思わずぞっとし、
鳥肌が立ちました。
死んで地獄に落ちてもなお、人間の欲深さが感じられ、
安楽への執念が感じられます。その執念が恐ろしくもあり、
不憫にも感じ、思わず顔をしかめてしまいました。

昔から「悪いことをしたら罰があたる。地獄に落ちるよ」
とよく周りの大人に聞かされ、とても怖がっていたことを
思い出します。
生きているうちに悪いことをすれば、死んでからも地獄の
鬼に苦しみを与えられ続け、人間に生まれ変われない、
という話もききました。
日本は信仰心は薄いですが、やはり仏教の国なので、
子供ながらに「悪いことをすれば罰があたる」と頭に
刷り込まれていたのでしょう。
この物語では、いつかどこかで聞いた地獄の様子が、
極楽浄土にいるお釈迦様の足元の蓮池に映し出され
語られています。
極楽浄土のなごやかでゆるやかな時を感じる世界と、
地獄の悲鳴さえも出ない永久的な苦しみの世界が、
とても対照的です。
極楽のお釈迦様が、気まぐれに与えたご慈悲で、
蜘蛛の糸をつかんだ悪党のかん侘多ですが、無事に糸を
登っていけるのか緊張しながら話を読み進めていくと、
ラストまであっという間でした。

そして物語の転機、自分の前に垂れてきた蜘蛛の糸を、
他の罪人たちもつかみ、極楽へとついていこうとする部分。
自分に巡ってきた、二度とないチャンスをものにするために、
他の罪人達を切り捨てようとする主人公に、お釈迦様は嘆き、
糸を切ってしまいます。
最後に「本当は善人だったのではないか」とお釈迦様が、
主人公に抱いた期待を裏切られたのです。
糸が切れた瞬間、まっさかさまに地獄へと再び落ちながら、
頭が真っ白になる感じを想像しました。
一度極楽への道を期待しただけに、絶望的などん底のような
気分をでしょう。
強盗や人殺しをした主人公に、「蜘蛛を助けたから」と
慈悲をかけたお釈迦様ですが、かん侘多は他の人への
慈悲が持てませんでした。この作品を読んで以来、
自分が受けた恩や親切を、周りの困っている人を助けて
返すということを何となく意識するようになりました。

人は誰でも欲望や自己中心的な考え方はあります。
でも自分にラッキーなことが起こったのは奇跡でも
幸運でもなく、それを与えてくれる第三者の存在が
あってこそです。
そのことに感謝し、自分が他人にその機会を与えられる
立場がやってきたら、惜しまず手放し、次の人へ渡そうと
思ました。
そうやって世間は回っていると思うし、続けていくことで
皆の幸福や平和につながると思うからです。
また、自分に巡ってきた幸運も、蜘蛛の糸ほどの細い
脆いものなのだと意識し、チャンスを逃さないように
実力をつける努力をしたいです。

引用元:[http://book-report-no1.com/2016/05/31/kumonoito-kansou/]
本の詳細:[http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/92_14545.html]

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