『人間失格』part4 (約1000字)

人間失格 太宰治

作者:太宰治
出版:
青空文庫

私が数種類ある課題図書の中から、なぜ「人間失格」という本を選んだのか。これには理由が二つある。

まず一つ目の理由に、作者の名前を以前から知っていた、ということがあげられる。文学について無知な私が聞いたこともない作家の見たこともない作品を読むのは気が重かった。太宰治さんは授業で習ったため、名前くらいは知っており、読んでみようかと思えた。

続いて二つ目の理由には、従姉妹の人間失格を読んだ感想が興味深かったことがあげられる。盆休みに親の実家に帰省したとき、従姉妹に「人間失格を読んだら、やる気が出なくなって、何しても無駄な気がしてくる」と聞いた。人をそんな気持ちにさせるほど影響力の強い作品なら、ぜひ読んでみたいと私は思った。これらの二つの理由から、私は人間失格を読み始めた。

葉蔵は繊細で孤独な少年である。そう感じたのは、彼が求愛の最終手段として道化を演じることを決意したからである。もし彼が、小さな恥や不安を気にすることのない性格だったら、もしくは分かり合える人が近くにいたなら、彼は道化を演じる必要はなかったと思う。ここに、葉蔵が自らを「人間失格」と表現することになった原因のひとつがあると思う。彼は道化になり心を閉ざしたが、もしも飾らずに、演じずに周りと接していたら、「人間失格」にはならなくてよかったのではないか。

私は葉蔵が本当に「人間失格」という言葉に相応しい人間だったのだろうかと疑問に思う。彼は「人間失格」ではないのではないかと思うのだ。恥や不安を感じる心は人間だからこそ持っているものであり、彼の生き方は、人間の生き方そのもののように感じる。人に本当の自分を見せずに道化を演じ続ける姿はとても人間じみている。

はしがきで「私」に三枚の写真を見せた女主人は、葉蔵のことを「神様みたいないい子でした。」と言った。なぜ「神様みたいな」という表現を使ったのかわからないが、私はこの言葉に何となく心が軽くなった気がした。葉蔵の手記は、彼が自分自身を否定して終わっていたので、女主人が彼を肯定してくれたことがすごくあたたかく、優しいことであるように思えた。私も葉蔵のように、隣人の苦しみの性質や程度がまるで検討がつかないこともある。自分と他人の観念の違いに不安を感じて、思い悩むこともある。しかし、まわりで支えてくれる人がいることを忘れず前向きに生きていきたい。

引用元:[夏休み読書感想文より]
本の詳細:[人間失格]

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